お笑いコンビ「にゃんこスター」のアンゴラ村長といえば、独特の世界観とキャラクターで人気を集めている芸人ですよね。
彼女の高学歴については広く知られていますが、その学生時代や芸人になるまでの道のりには、まだ多くの人が知らない興味深いエピソードが隠されています。
アンゴラ村長の学歴や学生時代、そして芸人になるまでの過程には、意外な事実や驚きの展開がたくさんあるのです。
今回は、そんな村長の知られざる一面に迫り、彼女の高学歴と芸人としてのキャリアがどのように結びついているのかを詳しく見ていきましょう!
アンゴラ村長の学歴と出身校

アンゴラ村長の学歴は、実はかなりのハイレベル。
彼女の学歴を追ってみると、その高い学力が垣間見えます。
小学校は埼玉県本庄市内の公立校、中学校は埼玉県本庄市立本庄東中学校を卒業したとされています。
中学校では先生に言われたことを一生懸命勉強した結果、中学2年生でオール5を貰った時、自分の頭の良さに気づいたそうです。
頭の良い人はオール5を貰う前に既に気づいているはずなので、そんなおっとりした所も村長らしさなのでしょう。
中学校で成績上位4名に入ったアンゴラ村長は、偏差値75という高難度の早稲田大学本庄高等学院に推薦で入学、後に早稲田大学へ進学しました。
アンゴラ村長によると、早稲田大学本庄高等学院の生徒は必ず、早稲田大学に内部進学するそうです。
早稲田大学では文学部で映画と演劇を専攻しました。
芸術表現に重点を置いた学びを深めていたようです。
このような高学歴の背景には、教育熱心な家庭環境があったことも分かっています。
母親は小学校教諭、父親は市役所職員という公務員家庭で育ち、兄姉も私立大学に進学するなど、学問を重視する家庭だったようです。
アンゴラ村長の高い学歴は、彼女の知的な一面を物語っており、後の芸人としての活動にも大きな影響を与えていると言えるでしょう。
アンゴラ村長の学生時代のエピソード

アンゴラ村長の学生時代は、決して楽なものではありませんでした。
特に大学時代には、学業と生活の両立に奮闘する姿が見られます。
大学在学中、アンゴラ村長は「苦学生」として知られていました。
生活費を賄うため、複数のアルバイトを掛け持ちしながら学業に励んでいたのです。
この経験は、彼女の芸人としての素養を育むきっかけにもなったようです。
「過酷なバイトの話はネタになる」という先輩芸人のアドバイスを聞き、働きながら芸人を目指すという道を選んだのです。
また、大学時代にはお笑いサークルに所属し、芸人を志して積極的に活動していました。
アルバイトと学業を両立しつつ、お笑いの実践的な経験を積んでいたのです。
さらに、文学部で学んだ映画と演劇の知識は、彼女の表現力を養う上で大きな役割を果たしました。
この経験が、現在のお笑い芸人としての活動の基盤になっているとも言われています。
アンゴラ村長の学生時代は、苦労と努力の連続でしたが、同時に彼女の才能と個性を磨く貴重な時間でもあったのです。
芸人を目指した経緯と活動

アンゴラ村長は中学2年生の時に、クラスのお笑い好きの友人からM1に推しの芸人が出場するから観て欲しいと頼まれ、見たところ面白すぎて心を奪われたそうです。
その芸人はNON STYLEでした。
以降、お笑い好きになり、あらびき団にもハマり、吉本お笑いユニットのキュートンのオーディションにも応募しました。
アンゴラ村長が見るだけで無く、自分でもお笑いをやろうと思ったのは、高校の落語研究会からでした。
落研では漫才もOKで、村長は女の子とコンビを組み、リズムネタでハイスクールマンザイへ出場しました。
アンゴラ村長は高校時代にGパンパンダの一平さんと出会い、大学進学後、一平さんの誘いで早稲田大学のお笑いサークル「LUDE」に入りました。
こうして大学在学中のお笑いサークル活動をきっかけに、アンゴラ村長は芸人の道をなんとなく歩み出しました。
大学1年の時に出場したワタナベエンターテイメント主催の大学生向けのお笑い大会「笑楽祭」で、決勝進出した為、大学2年でワタナベエンターテイメントのお笑い養成所に授業料割引で通い出しました。
養成所1年目はまだ、芸人を志すというより、社会勉強のつもりで通っていました。
お笑い養成所では、通常、全員がプロの芸人になれるわけではありません。
しかし、アンゴラ村長は、大学3年生の時点で一応プロの芸人としてデビューすることができました。
ワタナベエンターテイメントのお笑い養成所を卒業しても、ワタナベエンターテイメント所属芸人になるのは狭き門だそうです。
最初、120組の養成所研究生が最終的に20組になるそうです。
ところが、コンビを解散したため、ワタナベエンターテイメントから解雇されたそうです。
お笑いでは最初の挫折でした。
卒業後は、副業可能なIT企業「これから」に新卒入社。
「働きながら芸人をやる」という新しいスタイルを選んだのです。
この選択は、彼女の芸人としてのキャリアに大きな影響を与えることになります。
2017年4月、大喜利ライブ『大喜利千景』で出場した際、スーパー3助と即席コンビを結成。
これが「にゃんこスター」の始まりでした。
コンビ名は「野良猫の中のスターになろう」という思いを込めて、アンゴラ村長が命名しました。
同年10月、「キングオブコント2017」で準優勝を果たし、一躍注目を集めます。
解雇されたワタナベエンターテイメントから、準々決勝に進出した際に、再所属をオファーされ、準優勝後に所属のニュースが報じられました。
この快挙により、アンゴラ村長の芸人としてのキャリアは大きく飛躍しました。
現在も、芸人活動と会社員の二足のわらじを履きながら、教育とエンターテインメントを融合した活動にも意欲的に取り組んでいます。
アンゴラ村長の芸人としての道のりは、彼女の高い学歴と多様な経験が融合した、独自のものだと言えるでしょう。
まとめ
アンゴラ村長の高学歴と芸人としての活動について、詳しく見てきました。
彼女の経歴は、高学歴と芸人という一見相反する要素が融合した、非常にユニークなものです。
早稲田大学出身という高い学歴を持ちながら、苦学生として奮闘した経験、そしてその経験を活かしたお笑い芸人としての活動。
これらの要素が組み合わさることで、アンゴラ村長独自の芸風や世界観が生まれているのでしょう。
高い知性と豊かな表現力を持つアンゴラ村長。
今後も彼女の活動から目が離せません!
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