俳優として幅広い役柄をこなし、長年にわたり活躍を続ける杉本哲太さん。
しかし、その若い頃は意外にも波乱万丈な人生を送っていたことをご存知でしょうか?
今回は、杉本哲太さんの若い頃の姿や、芸能界デビューの秘話、そして初期の経歴について詳しくリサーチしてみました。
杉本哲太の若い頃の姿

杉本哲太さんの若い頃の姿は、今の渋い俳優のイメージとはかけ離れたものでした。
結論から言えば、杉本さんは地元で有名な不良少年でした。
俺もヤンキーだった
出典:スポニチ
神奈川県茅ヶ崎市出身の杉本さんは、中学・高校時代に暴走族のメンバーとして知られていました。
リーゼントにバイクという、典型的な不良スタイルで、地元では「一番の不良」と呼ばれるほどの存在だったのです。
具体的なエピソードとしては、高校は藤沢工業高校に入学したものの、ほとんど通わず1年生の1学期で中退してしまったことが挙げられています。
ただ、ご本人及び所属事務所が公式に発表されているデータは見当たりません。
また、警察沙汰になることも多く、「占有離脱物横領罪」(自転車泥棒)で現行犯逮捕された過去もあるそうです。
杉本哲太のデビュー秘話

そんな杉本さんの人生を大きく変えたのが、ある偶然の出会いでした。
結論から言えば、「横浜銀蝿」の嵐ヨシユキさんとの出会いが、杉本さんの芸能界デビューのきっかけとなりました。
1981年、16歳の杉本さんが横浜駅西口の地下街で不良グループと喧嘩をしていた際、偶然通りかかった嵐さんが仲裁に入ったのです。
ボコボコにされてたところに、“お前ら、やめろ”と止めてくれたのが横浜銀蠅の嵐さん。
出典:スポニチ
杉本さんは元々「横浜銀蝿」に憧れていたこともあり、その場で「仲間に入れてください」と直談判。
この勢いそのままに、杉本さんは横浜銀蝿ファミリーのロックバンド「紅麗威甦(グリース)」のヴォーカルとしてデビューすることになりました。
リーゼントに手に包帯という不良スタイルで、若者たちのカリスマ的存在となったのです。

杉本哲太の初期の経歴

杉本さんの初期の経歴は、バンド活動と俳優業の両立から始まりました。
結論から言えば、杉本さんは「紅麗威甦」でのデビューと同年に俳優としても活動を開始し、急速にキャリアを築いていきました。
1981年、「紅麗威甦」のメンバーとして芸能界入りした杉本さんは、同年にTBSドラマ『茜さんのお弁当』で俳優デビューも果たします。
不良少年役での起用でした。
その後、1984年には映画『白蛇抄』で映画デビュー。
この作品では役作りのために丸刈りになったことが話題となり、第7回日本アカデミー賞新人賞を受賞。
杉本哲太がリーゼントから僧侶役でいきなりツルツルの坊主頭、沖田浩之が『海ゆかば』の軍人役で丸刈り。アイドルが坊主になったのは衝撃的だったわ。薬師丸ひろ子が『セーラー服と機関銃』でカリメロのようなベリーショートにしたときと、同じような新鮮さだったわねw pic.twitter.com/rd6BxmbJvE
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) January 8, 2022
これを機に本格的に俳優としての道を歩み始めました。
以降、ヤンキーの風貌を生かした強面の役から、優しい父親役まで幅広く演じ、評価を高めていきました。
まとめ
杉本哲太さんの若い頃は、まさに波乱万丈でした。
地元一の不良少年から、偶然の出会いをきっかけに芸能界入り。
そして、バンドボーカルと俳優の二刀流でキャリアをスタートさせ、今や日本を代表する俳優の一人となりました。
杉本さんの経歴は、人生どこでどう変わるかわからないことを教えてくれる、まさに「ドラマのような人生」と言えるでしょう。
今後も杉本さんの活躍から目が離せません。
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