1980年代後半から90年代にかけて、関西を中心に人気を博したお笑いタレントといえば、森脇健児さんと山田雅人さんのコンビを思い出す方も多いのではないでしょうか。
今回は、この二人の関係性や芸風について、徹底的にリサーチしてみました。
果たして、森脇健児さんの相方は本当に山田雅人さんだったのでしょうか?
そして、彼らはどのような芸風で人々を魅了したのでしょうか?
森脇健児と山田雅人のコンビ結成

森脇健児さんと山田雅人さんの関係性について、まず押さえておくべき重要なポイントがあります。
それは、二人は正式なお笑いコンビとして結成されたわけではないということです。
1988年、森脇さんと山田さんは関西ローカルの若者向けバラエティ番組『ざまぁKANKAN!』(読売テレビ)で共演し、大きな人気を獲得しました。
80年代後半に、森脇健児(50)と司会タッグを組んだ読売テレビ「ざまぁKANKAN!」について山田は「僕が名前と顔を覚えていただき、東京に行けたのも、あの番組のおかげだと感謝しております」と回顧。
出典:デイリー
この番組をきっかけに、「森脇・山田」のタッグとして様々なテレビ番組やラジオ番組やCMに出演するようになりました。
しかし、山田さん本人や関係者の証言によると、二人の関係性は正式なお笑いコンビというよりも、テレビ番組上での司会タッグや共演者という位置づけだったようです。
松竹芸能が二人を一緒に売り出す形で活動していたため、厳密には「お笑いコンビ」としては成立していなかったのです。
エピソードとして、森脇健児さんの東京進出初期の代表的な相方として山田さんが記憶されているという事実があります。
これは、二人の関係性が視聴者に強く印象づけられていたことを示しています。
森脇健児と山田雅人の芸風の特徴

森脇健児さんと山田雅人さんの芸風は、若者向けの明るく軽快なトークやバラエティ色の強い司会タッグが特徴でした。
二人の芸風は、純粋なお笑いネタのスタイルというよりは、バラエティや情報番組、若者向けのトーク・司会タッグとしての色合いが強かったのです。
明確に漫才ネタで笑わせるというよりは、テンポ良い掛け合いやトークで視聴者を楽しませていました。
この芸風は、特に『ざまぁKANKAN!』という番組で開花しました。
親しみやすく元気なトークやかけあいで、若い層に強く支持されたのです。
関西テレビの夕方番組で爆発的な人気があり、ダウンタウンと並ぶライバルとして扱われるほどでした。
エピソードとして、山田さんは後に俳優業や一人語りの芸「かたり」を中心に活動し、森脇さんはマラソンやバラエティを中心に活躍したため、二人の活動方向も徐々に別れていったという経緯があります。

森脇健児と山田雅人の代表的なネタ

森脇健児さんと山田雅人さんの代表的なネタは、『ざまぁKANKAN!』でのコール&レスポンスや軽快なトーク進行によるバラエティ司会タッグでした。
特に人気だったのは、番組内でのコール&レスポンスです。
森脇さんが「OK?」と聞くと観客が「ラジャー」と答え、続けて「グー、シュート、ビューティフル、バック・トゥー・ザ?」に対し「フューチャー」と返すなど、シンプルでテンポの良いやりとりが観客を惹きつけました。
この軽快なコール&レスポンスは、スタジオの若い観客だけでなくテレビの前の視聴者の心も掴みました。
漫才やコントのような決まったネタというよりは、明るくテンポの良いトークや掛け合いが主軸で、司会進行役として若手芸人たちを盛り立てる形でした。
エピソードとして、1990年には「ざまぁKANKAN!FINAL SPECIAL」と題して大阪城ホールで1万人規模のイベントを開催するほどの人気を博しました。
これは、関西の夕方時間帯の人気番組として一世を風靡したことを示しています。
まとめ
森脇健児さんと山田雅人さんは、正式なお笑いコンビではありませんでしたが、テレビやラジオでの司会タッグとして強く認識されていました。
彼らの芸風は、若者向けの明るく軽快なトークやバラエティ色の強い司会進行が特徴で、特に『ざまぁKANKAN!』での活動が代表的でした。
コール&レスポンスや軽快なトーク進行によるバラエティ司会タッグとして、80年代後半から90年代にかけて関西を中心に大きな人気を博しました。
彼らの活動は、純粋なお笑いコンビの漫才スタイルとは少し異なるバラエティ芸風として、当時の若者たちの心を掴んだのです。
現在は共演機会が減っていますが、森脇さんと山田さんの軽快なトークと明るい雰囲気は、多くの人々の記憶に残る素晴らしいエンターテインメントだったと言えるでしょう。
コメント