2時間ドラマの女王として知られる片平なぎささん。
そんな片平なぎささんですが、若い頃は可愛いだけではなく、仕事に対する苦悩も抱えていたようです。
華やかな芸能界で活躍する片平なぎささんが、なぜ仕事が嫌だったのか気になりますよね。
また、若い頃の可愛さや人気についても知りたいところです。
片平なぎさの若い頃の可愛さと人気

片平なぎささんの若い頃は、どれほど可愛くて人気があったのでしょうか。
片平さんは1975年、16歳の時に「純愛」で歌手デビューを果たし、「微笑の貴公子」と呼ばれた圧倒的な美貌と透明感で注目を集めました。
清楚な黒髪ロングやナチュラルメイクがトレードマークで、女子中高生からも「片平なぎささんみたいな顔になりたい!」と憧れられる存在だったのです。
デビュー時は桜田淳子さんや岩崎宏美さんなど有名アイドルが並ぶアイドル戦国時代でした。
その中でも片平なぎささんは、ミステリアスで気品ある魅力で大きな存在感を放っていました。
グラビアやテレビ出演では「昭和の清純派女優」として語り継がれる清楚な美少女ぶりが特に際立っており、CMや雑誌のオファーも殺到していたそうです。
片平なぎささんは東京都品川区生まれで、不動産会社経営の両親と姉の4人家族という恵まれた環境で育ちました。
1974年に堀越高等学校卒業後、オーディション番組「スター誕生!」に代役として出場し優勝したことがデビューのきっかけとなりました。
その美貌と透明感は、時代を超えて愛される”永遠のヒロイン”として語り継がれるほどの圧倒的な魅力を持っていたのです。
仕事が嫌だった若い頃の心境

華やかなデビューを飾った片平なぎささんですが、実は仕事に対して複雑な思いを抱えていました。
公式発表はされていないものの、片平なぎささんは歌手デビュー当初、歌に自信がなく、仕事場に行くのも足取りが重かったと語っています。
本人は「歌が苦手」と感じており、客や自分の評価に疑心暗鬼になってネガティブ思考に陥っていたのです。
でも、歌は苦手。歌唱力がなくて、いつも仕事場には行きたくなかった。後に泉谷しげるさんから『お前は、いつも辛そうに歌っていた』と言われました。
公式発表はされていないものの、片平なぎささんは「歌が下手」「衣装がおかしい」と客は捉えていると疑心暗鬼になり、徹底したネガティブ思考に陥ったと語っています。
仕事場までは常に足取りが重かったというエピソードからも、当時の苦悩の深さが伺えます。
美貌で注目を集め、CMや雑誌のオファーが殺到していた片平なぎささんですが、その華やかな表舞台の裏では、歌手としての自分に自信が持てずにいたのです。
幼少期は転校やいじめもあり寂しい時期を過ごしていた片平なぎささん。
そうした経験も、芸能界での仕事に対する不安や葛藤につながっていたのかもしれません。
芸能界に対する迷いと葛藤

片平なぎささんは若い頃、芸能界に対して大きな迷いと葛藤を抱えていました。
公式発表はされていないものの、片平なぎささんは芸能界入りに対して父親が大反対していたため、一度は辞退しています。
少なくとも当初は、芸能界をあまり好んでいなかったと言えるでしょう。
しかし、そうした葛藤の中で、片平なぎささんは徐々に芝居への魅力を感じるようになりました。
片平なぎささんは芝居への適性を自覚し、本格的に女優業へ転向することを決意したのです。
女優転向後は、演技力と美貌の融合で「悪女役」や2時間ドラマでブレイクし、日本中にその名を刻みました。
現在では『赤い霊柩車シリーズ』『土曜ワイド劇場「ショカツの女シリーズ」』『スチュワーデス物語』『凪のお暇』など数々のテレビドラマに出演しています。
映画『嫌われ松子の一生』『インシテミル』などにも出演し、2時間ドラマの女王と称されるほどになりました。
自分の適性を見出して女優としての道を切り開いた片平なぎささんは、演技力と美貌で昭和から令和まで幅広く活躍しているのです。
まとめ
今回は、片平なぎささんの若い頃の可愛さと仕事が嫌だった過去について見てきました。
片平なぎささんは16歳で歌手デビューを果たし、「微笑の貴公子」と呼ばれる圧倒的な美貌と透明感で注目を集めました。
しかし、歌に自信が持てず、仕事場に行くのも足取りが重かったという苦悩の時期がありました。
父親の反対もあり、芸能界に対して迷いや嫌悪感を抱いていた時期もあったのです。
そうした葛藤の中で芝居への適性を見出し、女優業へ転向したことで、現在の活躍につながっています。
片平なぎささんの若い頃は、可愛いだけではなく、芯の強さも持ち合わせていました。
自分の適性を見出して女優としての道を切り開いた片平なぎささんの姿は、多くの人に勇気を与えてくれますね!

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