俳優として活躍する大東駿介さん。
その穏やかな表情からは想像できないような、波乱万丈な生い立ちがあることをご存知でしょうか?
今回は、大東駿介さんの幼少期から芸能界デビューまでの経緯を詳しくリサーチしました。
壮絶な子供時代から、どのようにして今の輝かしいキャリアーを築き上げたのか、その軌跡をたどってみましょう。
大東駿介の幼少期と家族環境

大東駿介さんの幼少期は、想像を絶する困難に満ちていました。
1986年3月13日、大阪府堺市に生まれた大東さんは、小学生の頃に両親が離婚するという家庭環境の変化を経験します。
父親が家を出た後は母親に育てられましたが、中学生になると母親までもが蒸発してしまいます。
自宅でクリーニング店を営んでいた母親は、徐々に帰宅しない日が増え、最終的には「帰って来えへん」という状態になってしまったのです。
中学2年生頃から、大東さんは驚くべきことに一人暮らしを余儀なくされます。
母親が残していった現金がなくなると、レジにあったお金を使い始めましたが、それもすぐに底をつきました。
極貧生活の中、大東さんの主食は駄菓子の「どんどん焼き」でした。
「餅米とね、豆がたまに入ってるから栄養にええやろうと。どんどん焼きのバランスに助けられた」と大東さんは当時を振り返ります。
所持金が1円玉ばかりになると、10円の駄菓子を買うのも一苦労。
「コンビニとかで買うと恥ずかしいから、一つの店で1個。また自転車こいで違うコンビニで1個。かわいそうなやつと思われたくなかった」と、当時の苦労を語っています。
大東駿介の学生時代

大東駿介さんの学生時代は、極貧生活と闘いながらも、人々の温かさに触れた時期でもありました。
学校では弁当を持参していましたが、ある日、昼食を食べていないことに気づいた担任の先生が、こっそりとコンビニで菓子パンを買って渡してくれたそうです。
「そのとき食べたスティックチョコパンとジャムマーガリンのコッペパンが、いまでも大好きですね。昨日もスティックチョコパン食べました」と、今でも感謝の気持ちを込めて語っています。
しかし、先生の気持ちは感謝しつつも、気遣いが辛くなり、中学2年の途中から学校には行かなくなりました。
大東さんは、自分が両親から必要とされていないという自分の価値を失ったことがなによりも辛かったそうです。
極貧生活は大東さんをさらに追い込んでいきました。
話し相手も無く、自宅のクリーニング店にある大きな鏡に映った自分に「お前、何で生きてんねん」「お前のせいで、こうなったんちゃうんけ」と気持ちをぶつけていました。
話し相手もいなくて、誰にも自分の気持ちを受け止めてもらえない状況が苦しくなりました。鏡に向かって、「お前、何で生きてんねん」「お前のせいで、こうなったんちゃうんけ」と自己否定の言葉を投げつけるようになりました。
出典:読売新聞オンライン
唯一話し相手は飼っていたウサギだけとなり、「自分は社会に出ちゃいけないんじゃないか」と思っていました。
自己否定を繰り返す内、自分はこのまま死ぬんでは無いかと怖くなって何度も震えていました。
そんな自尊心を失い、死を感じていた時、変化が起きたのです。
大東さんは、突然、親が帰ってこないという悲しみや恐怖が、怒りに変わったそうです。
大東さんは、このまま死んで終わるのはとても許せない、親が自分を認めて貰えなければ、その代わり他の人に認めて貰える様に生きてみようと思いました。
昔から映画が好きだった大東さんは、色々な人生を演じられる俳優という仕事に憧れていました。
当時は、俳優は自分の人生を生きなくても良い仕事だと単純に思っていました。
ですから、自分は将来俳優になるのだから、今の辛い経験は演技の役に立つと前向きに考えるようになりました。
そして、学校の社会科で教わった外の世界、いとこからの東京の事、英語教師の海外の話を通して、今の自分の世界は小さな一部で、もっと広い世界に自分の居場所があり、その居場所を見つけたい気持ちが湧いてきたそうです。
さらに、そんな中、大東さんに救いの手を差し伸べてくれたのは友人たちでした。
ある日、友達が玄関のドアを壊して入ってきたことをきっかけに、大東さんの自宅に仲間が集まるようになり、「そこから救われました」と語っています。
大東駿介の芸能界デビューまでの道のり

大東駿介さんの人生は、友人たちとの出会いを機に大きく変わり始めました。
その後、中3の時、叔母に引き取られ、学校にも復学し高校に進学しました。
高校卒業後、東京のいとこの家に同居しながら、ファッション誌の専属モデルとしてキャリアをスタートさせます。
そして19歳の時、2005年に日本テレビ系「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビューを果たします。
この華々しいデビューを皮切りに、映画「クローズZERO」など話題作に次々と出演。
着実にキャリアを積み重ねていきました。
2009年NHK朝ドラ「ウェルかめ」、2012年には大河ドラマ「平清盛」、その後「花燃ゆ」、「いだてん~東京オリムピック噺~」にも出演。
さらに2023年NHK朝ドラ「らんまん」で元彰義隊隊士・倉木隼人という時代に取り残され、割り切れない思いを抱えた屈折した役を演じていました。
普段は大阪出身の底抜けに明るい大東さんとは真逆の役を演じ、視聴者に強烈な印象を残しました。
大東さんは数々の作品に出演して、実力派俳優として活躍しています。
まとめ
大東駿介さんの生い立ちは、まさに波乱万丈そのものでした。
幼少期の家庭環境の激変、極貧生活、そして引きこもりという壁。
しかし、これらの困難を乗り越え、19歳で俳優デビューを果たすまでの道のりは、大東さんの強い意志と周囲の人々の支えがあってこそ可能になったと言えるでしょう。
現在、多くのドラマや映画で活躍する大東さん。
その穏やかな表情の裏には、これまでの経験が作り上げた強さと、人々への感謝の気持ちがあるのかもしれません。
これからの大東駿介さんの活躍に、ますます目が離せなくなりそうです。
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